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    台湾に日本統治時代の建築がこれほど残っているのはなぜか

    台湾を歩いていると、日本統治時代に建てられた建築を各地で目にします。台北の総統府や台湾博物館、台南の旧台南地方法院や林百貨、地方都市に残る駅舎や官公庁など、その種類はさまざまです。古い建物が一か所に集められているわけではなく、現在の街の中に残り、行政機関や博物館、商業施設として使われているところに台湾らしさがあります。台湾旅行でこうした建物を何度も目にすると、なぜこれほど多く残っているのだろうと思う人もいるでしょう。

    台湾が日本の統治下に置かれたのは、日清戦争後の1895年から第二次世界大戦が終わる1945年までの50年間です。この半世紀に建てられた建築は、単に日本の建物を台湾に移したものではありませんでした。行政、司法、金融、教育、交通、産業など、新しく整備された都市機能に合わせて数多くの建物が造られ、台湾の気候を考えた設計も取り入れられています。そして1945年を境に役割を終えたわけでもありません。戦後もそのまま使われた建物が多く、後に文化財として保存されたものもあります。現在の台湾で日本統治時代の建築が目立つ理由は、この50年間と、その後の約80年間を続けて見るとよく分かります。


    目次

    50年間に造られた都市

    1895年に日本の統治が始まった時点で、台湾には清代から続く街や城壁、寺廟、商業地区がありました。その後、台北をはじめとする主要都市で道路や官庁街などの整備が進み、20世紀に入ると街の姿は大きく変わっていきます。台北では城壁が撤去され、道路が整備されるとともに、その周辺に行政機関、学校、金融機関、公共施設が建設されました。現在の台北駅周辺から総統府周辺を歩くと、日本統治時代の建築が比較的まとまって残っているのは、この一帯が当時の都市計画によって行政の中心として整備されたことと関係しています。

    その代表が現在の総統府です。日本統治時代には台湾総督府として建設され、1912年に着工、1919年に完成しました。中央塔は約60mあり、完成当時は台湾で最も高い建築でした。現在の監察院、行政院、台湾博物館などにも日本統治時代の建築が残っています。これらを個別の古い建物として見るだけでは、なぜ同じ地域に集中しているのかが分かりません。道路と街区を決め、その中に行政や公共施設を配置する都市計画の一部として建設されたからこそ、100年以上たった現在も台北中心部に当時の街の輪郭を見ることができるのです。


    台湾の気候に合わせた建築

    日本統治時代の建築には西洋建築の影響を受けたものが多く、赤レンガ、石材、列柱、ドーム、アーチなどが目に留まります。しかし、東京や大阪にあった建物をそのまま台湾に再現したわけではありません。高温多湿で雨の多い台湾で使用することを前提に、通風や日差しへの対策も求められました。統治初期に使用された基隆の建物には、建物の周囲に広いベランダを設け、室内から直接外側の空間に出られる構造が採用されていました。日差しを遮りながら風を通すという、亜熱帯の環境を考えた造りです。

    その後に建てられた官公庁では、レンガや鉄筋コンクリートなどを使った大規模な建築が増えていきました。総督府の設計には長野宇平治の案が採用され、最終的な設計には森山松之助が携わっています。森山は台南地方法院なども手掛けており、現在の台湾旅行でも彼が関わった建物を見る機会があります。こうした建築には当時の日本で採用されていた西洋建築の考え方が反映される一方、台湾の気候や建物の用途も考慮されました。日本統治時代の建築を「日本風」とひとまとめにせず、台湾で使うために造られた近代建築として見ると、細部にも目が向くと思います。


    戦後も使われ続けた建物

    台湾に日本統治時代の建築が多く残った理由として見逃せないのが、1945年以降も建物の役割が続いたことです。統治が終わったからといって、官公庁、裁判所、学校などが一斉に使われなくなったわけではありません。総督府は戦争末期の空襲で大きな被害を受けましたが、戦後に修復され、1950年から総統府として使われています。日本統治時代の台湾総督府と現在の総統府が同じ建物なのは、この継続を象徴する例でしょう。

    台南地方法院も同様です。現在残る建物は1912年に工事が始まり、1914年に完成しました。その後も長期間にわたって裁判所として使われ、現在は司法博物館になっています。用途を変えながら残った建物もあれば、同じ役割を長く担ったものもあります。建築物は使われることで補修や管理が続きます。台湾で100年前の建築が現在の市街地に自然に存在している背景には、古いから保存されたという理由だけではなく、戦後の台湾社会がそれらを行政や教育などの施設として利用してきた長い時間があるのです。


    台南で見える保存と再利用

    日本統治時代の建築を見るなら、台南は特に興味深い街です。台湾の古都である台南には、鄭氏政権や清代の寺廟、城跡が残る一方、日本統治時代の官公庁、商業建築、公共施設も点在しています。異なる時代の建物が同じ市街地に残っているため、数百年にわたる台湾の歴史を街を歩きながら見ることができます。1914年完成の旧台南地方法院は1991年に古蹟として指定され、その後、国定古蹟となりました。現在は司法博物館として公開され、建物そのものと台湾司法の歴史を見る場所になっています。

    もうひとつ分かりやすい例が林百貨です。1932年に開業した5階建ての百貨店で、当時の台南を代表する近代的な商業施設でした。建物にはエレベーターが設けられ、屋上には神社も造られています。戦後は長く百貨店としての営業を終えていましたが、修復を経て2014年に再び商業施設として営業を始めました。現在は台湾の商品や雑貨などを扱いながら、古いエレベーターの階数表示や建築の意匠も残されています。古い建築を外観だけ保存するのではなく、新しい用途を与えて街の中で再び使う方法が定着したことも、台湾旅行で歴史的建築に触れる機会が多い理由のひとつだといえます。


    現代の台湾に残る理由

    台湾で日本統治時代の建築がこれほど残っている理由をひとつだけに絞ることはできません。1895年から1945年まで50年間にわたって統治が続き、その間に都市計画とともに多数の公共建築が造られたこと、戦後も行政機関や学校などとして利用されたこと、さらに文化財として保存する考え方が広まり、修復後に博物館や商業施設として再利用されていることが重なっています。建設から100年前後を経ても街の中で存在感を持っているのは、その後の台湾が建物を使い続けてきた時間が長いからでもあるでしょう。

    台湾旅行で日本統治時代の建築を見るなら、建物だけを目的地にする必要はありません。台北では総統府周辺を歩けば近代都市として整備された街区が見え、台南では清代以前の史跡と日本統治時代の建築が近い範囲に残っています。鉄道で台湾各地を巡れば、駅や鉄道関連施設にも近代化の痕跡があります。1895年以前から続く台湾の文化、その上に重なった50年間、さらに1945年以降の台湾社会が同じ街に共存しているのです。総統府や旧台南地方法院、林百貨を見たとき、「日本統治時代の建物が残っている」で終わらせず、なぜ建てられ、戦後は何に使われ、現在までどう残ったのかを見る。そこまで知ってから街を歩くと、台湾の歴史が建築を通して見えてくるのではないでしょうか。



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